あの頃一番近くにいた人は、今は一番遠い所にいる。


























「まだお仕事終わってないんですかー?」



「うぉっ!」



夕日がほのかに差し込んで、あたしが後ろから見つめる海燕の黒髪を何とも形容しがたい色に染め上げる


何か、懐かしくなるようなそんな感じなのだ


「オメーこそ終わったのかよ?」


海燕は椅子によっかかって後ろから顔をだしているに顔だけ振り向いて言った


「もっちろん。仕事は速く、正確に、のちゃんですから!」


「なぁーにがちゃん、だよ」


呆れたように彼はそう言ってコツン、とあたしの額をこづく


「もー乱暴なんだからー」


彼に小突かれた額に手をあてながらあたしは小さく呟いて。


だけど全然痛くない。
口では文句言うけれど、ホントはそんな些細な触れ合いが嬉しい


ひとりでに緩んでくる顔を必死に堪えようとしているあたしの首を抱くようにして立ち上がりながら海燕は大きく伸びをする


「メシだメシ!おら、いくぞ!」


そしてあたしの躯を引きずるようにして歩きだした


「痛い痛いって…馬鹿海燕…」


彼の硬い筋肉のついた腕があたしの首をしっかり抱いていてそのまま歩くもんだからあたしは堪らず抗議の声をあげる


「お?悪ィ悪ィ」


彼は悪びれもせずそう言って、けれどあたしの首にある腕は変わらなくて。


「もー……」


仕方なさそうにあたしは呟いたけど、このままでもいいや、ってひとりでに微笑む顔を今度はそのままに大人しく彼に従って歩く



海燕の隣は、あたしの特等席なんだ



ひとり心で呟いて、去り際に目にうつった夕日が、あたしの目に焼き付いて離れなかった
















。後で私の部屋に来なさい」


「はい、お父様」


いつものように家に帰ってきたあたしは珍しくお父様に呼び止められた

急いで死覇装を脱いで部屋着に着替えたあたしはお父様の部屋に直行する



何を言われるのだろうか。
お父様に呼び止められて部屋に言った時はたいていいいことではない


あたしは眉間によった皺を手でのばしてから襖を開けた




「何か、御用でしょうか」



礼儀正しく畳に正座をしてあたしは静かに問う


早く、過ぎてくれればいいのに。


心でそう思いながらお父様の口が開くのを待つ


「…最近、志波家の者と仲がいいようだな」


お父様の発した言葉に背中を嫌な汗が伝う



どこでそれを知ったのか、なんて聞くのは愚問だろう


。お前はの名をしょっているんだ。付き合いはそれ相応の者としなさい」


これだから、貴族は、の家は嫌なんだ


あたしは膝の上においた手に力を篭めないよう細心の注意をはらいながら小さく応えた



「……肝に命じておきます」



だけど一番嫌なのはそれに逆らえない自分自身。



「失礼致しました…」



今回は今までの中で最高にいいことではなかった、とあたしは溜息をつきたい気持ちを押し止めて部屋を後にした




ここで逆らおうものにはもう一切海燕と会うのを禁じられるだろう

最悪隊を移動することになるかもしれない


明日からの生活が憂鬱になりながらあたしは蒲団の中で目を閉じた



だけど、あたしは海燕から離れる事は出来ないとわかっていたのも事実だった















さん」


聞き慣れない声に呼ばれてふと足をとめた



「えーっと…何か?」



育ちの良さそうな目の前の彼に合わせてあたしはわざわざ彼に躯ごと向けて問う




「ずっとあなたを見てました。俺とお付き合いして貰えませんか?」




そういうことか。




昨日のお父様の言葉が蘇る
つまりこの彼はさしずめお父様の差し金なんだろう



だとしたら、受ける以外に選択肢なんてないじゃない





「…はい」




薄く張り付いたような笑みで承諾の台詞を呟いた








「はぁ……」





貴族に生まれたのが悪かったのか。




あたしは好きでもない人とつきあえる程器用じゃない

同時に好きな人から離れることができるほど大人じゃないのだ


どうしようもなく果てしない迷路に放り込まれたように感じてあたしはおもいっきり息をはいた



「オメーが溜息はくなんてどうしたんだよ」



いきなり隣に現れた気配に大袈裟な程驚いてしまった


「なっ…気配消して近寄るなんて、びっくりするじゃん!」


自然とあたしの隣に腰掛ける彼に心臓が嬉しくて飛び跳ねる


「ぼーっとしてるが悪い」


彼はあっさりとそうかわすとふいに真剣な目であたしを見つめた


「なんかあったのか?」



急にそんなに真剣になんないでよ



「何もないよ。海燕心配しずぎー」


そうわざとおどけて彼の腕にしがみついた



言えないよ。海燕に離れていってほしくないもん



「おっまえなー折角人が親切に声かけてやってんのに」


「頼んでませーん」



違う。本当はあたしが言いたくないだけなんだ



「なんだとー」



「あははっ」



海燕が彼の腕にしがみついたままのあたしの髪をくしゃくしゃにする




ねぇ、海燕。



あたしは優しい彼の体温を感じながら涙が零れそうになるのを我慢してたんだ



あなたはいつまであたしの隣にいてくれるのかな




この時間が永遠になればいいと、強く願った














結局海燕に付き合ってる人がいること、言ってないなぁ



だけど付き合ってる彼はひどく優しい人で、一緒にいるのが苦にはならなかった

それに海燕といる時間のほうが圧倒的に多かったから、あたしの生活は特に変わらない







「あれ?海燕?」





先程虚退治に行ったはずの彼がなぜか隊舎内にいたのを不思議に思って声をかける




「!…」




彼にはいつものような覇気がなくどことなく青ざめているように見えた



「な、にっ……!」



あたしに気付いた彼は怖い顔で近づいてくると壁にあたしを追い詰めた

壁に片手をついた彼の勢いに躯がびくっと跳ねる





「…オメー……付き合ってるヤロウがいるって本当か…?」





この時が来てしまった。





やけに冷静になる頭の中で彼にだけは知られたくなかった、と今更ながら胸を悲痛な痛みがすぎる



できることなら今すぐあたしの舌を切って下さい。

それか、彼に嘘をつける勇気を。




「……うん」




こんなこと、言いたくなかったよ。




あたしが小さく肯定を示すと彼は呆然としたようにあたしを見て、それからそっと顔を斜め下に俯かせた




海燕、気付いてる?





「…良かったな。幸せに、なれよ」




あなたがそうやって下を見る時はいつも、嘘をついてるか本心とは違う事を言っている時だって。



「幸せになれ、なんて大袈裟な。結婚するわけじゃないんだから」


あたしはまた薄く張り付いた微笑みでそう笑い飛ばした


「…ああ、そうだよな…」


「そうそう!さっさと仕事しよー」


力無く笑う彼から目を逸らしてあたしはポンッと彼の背を叩いて言う



好きだ、と告げられない事がこんなに苦しいなんて思わなかった












海燕は、もうすっかりもとどおりであたしは寂しい気持ちを隠して安心した


彼の隣にいるのを許されているのは変わらずあたしだけだったから、好きと告げることは出来なくても隣にいれればいい、と思ったんだ



付き合っている彼とはたまに会って話をするくらいで抱き合ったりキスをするわけでもなかったのもあたしにとって都合がいい


騙しているような罪悪感に苛まれる時もあるけれど、あたしはそんなに出来た人間じゃなかった




「失礼いたいましたー」





病弱で床にふせっていることの多い浮竹隊長は、だけど調子のいい日なんかは進んで仕事をしてくれる


今日もあたしはそんな隊長に書類を渡して隊舎に戻る道をひとり歩いていた





そんな時海燕の姿が見えて、あたしは習慣的に口を開く

だけどその時は言葉を発することは出来なかった



衝撃的というよりは寧ろ予想の範疇だった気もする


ただあたしの脳内を占めていたのは彼の隣にあたしはもういてはいけないのかもしれない、という焦燥感だった






あたしは弱い人間だ。弱くてずるい。


海燕に付き合っている人がいるのを目の当たりにしてから自然と彼氏と過ごす時間が増えた


海燕はあたしに何も言わなかったし、いつもどおり優しかったからあたしも今までどおり彼といた


ただ時々彼に向ける笑顔が張り付いたようなものになる時もあったけれど。




「あー!仕事終了ー」



グーンと伸びをして大分傾いた夕日に目を細める


「おーご苦労さん。んじゃメシ食いにいくか」



思わずぇ…、と声を漏らしそうになった



「あ、うん…もちろん海燕の奢りだよね」



最近はめっきり一緒に食事をとることなんてなくなっていたのに。



「ったく…ホレ早くいくぞ」



彼女は、いいのかな



そう思ってもあたしは言えない




「やったー!」




ガタン、と勢いよく椅子から立ち上がってあたしを待つ彼のとこに行く





でも海燕。





もうあたしの首を抱いて引きずるようにはしてくれないんだね




夕日はあの時と変わらないのに、月日はこんなにも早く過ぎていたんだ。














予想はしていたの。何か言いたくてあたしを誘ったんだって。




だけどだからって平気なわけじゃない









夕食のとき彼は真っすぐあたしの目を見て言ったんだ



「俺、結婚するんだ」



せめてあたしから目線を外して言ってくれたなら、まだ嘘だと信じることも出来たのに。




「あたしより先に結婚するなんてズルイ!」



あたしは胸の奥に渦巻くたくさんの感情を押し止めて明るく軽口をたたいた



そしておめでとう、と。



さすがにそれだけは目を見ては言えなくて。冗談のように彼の腕にしがみついて熱くなる喉に耐えていた



「…さんきゅ」


彼は腕にしがみつくあたしを剥がそうとはせずに、だけど昔のようにもうじゃれてはくれない








とぼとぼ帰り道を歩いて気がつけば家に着いていた






「只今戻りました…」



弱々しくそう呟いて、もう誰とも会いたくなかった。何も考えたくなかった、
頭も心も上手く機能せず、どこか霞みがかかっているようで。



「お帰りなさい、さん」



何故ここにいるのかという問いよりも先にあたしは彼氏に抱き着いていた



驚きながらもあたしを抱きしめかえしてくれる優しい彼に涙が溢れて。
もうあたしを慰めてくれるんだったら誰でも良かったんだ







「お願い…抱いて…」







抱かれている瞬間だけは海燕を忘れられる気がしたの。


















嫌な、胸をはい回るようなじっとりとした嫌な予感があたしを包んでいた


仕事をしていてもいまいち身がはいらない


気分転換に空を見上げたら、今にも降り出しそうな空だった。












「っ………!」







信じられない。いや、信じることを躯が、心が拒否している







そんな、今海燕の霊圧が消えたなんて。







気がついたらあたしは本能的に走りだしていた


ポツ、ポツ、とだんだん強くなっていく雨の中あたしはまだ残る彼の気配を頼りに走る






……?」




「浮竹、隊長……」





見上げれば雨にずぶ濡れの隊長がいて。






「隊長!今、海燕の霊圧が…!」





縋るように、一縷の望みにかけるように。

だけど隊長は喉に何か詰まったような顔をして、そっと顔を振るだけだった







「う、そ……」






一気に全身の力が抜けて、雨でどろどろの地面に膝をつく



なんで、こんなに早く。





心を駆け巡る感情が爆発して、あたしは声をあげて泣いた





雨と涙があたしを濡らしていく。このまま泣いて泣いて溶けてしまえればいいのに。










躯を包んだ温かさ、というよりは気配にあたしは微かに顔をあげる



視界にうつる白い羽織りと同じ色の髪。







そのままあたしは隊長に抱きしめられながらいつまでもいつまでも馬鹿みたいに泣いていた




あたしの肩に顔をつけた隊長の長い髪も小さく震えていたから、きっと隊長もあたしと同じ気持ちだったんだろう。





この雨が、一生やまなければいいのに、と。


















月日は何故こんなに早く流れるのだろう







彼が逝ってしまってからもう何年も過ぎた

あたしは当時付き合っていた彼氏と別れて、今は浮竹隊長と付き合っている



隊長のことは大好きだ。だけどあたしは一番好きな人に大好きとは言っていない。

今も、昔も。





彼はもうあたしの隣にいないから。






今でもずっとあたしは彼を一番に想う














してる、と呟いてもしい貴方はもういない。


(懐かしく、けれど色褪せることなどない。)
(070723 如月亜夜)