こんな の夜には







ベランダから見上げた月はいつもより赤くて、そして何故か惹かれてしまうほど魅惑的。

薄い雲に覆われながら漆黒の夜空に浮かぶそれは半分近く欠けながらも懍と存在している




「浴衣なんて久しぶりに着たなァ…」



漸くなんとか見栄えするくらいに着付けて、それからベランダに立って空を見上げながらひとり呟いた


別に花火を見に行くわけではないし、お祭りに行くわけでもない。

ただ今年は夏らしいことを何ひとつしていなかったから、着るだけ浴衣を着てみたのだ



きゅ、と締めた紅い帯に少しきつく締めすぎたかな、と苦笑いしながらベランダの縁に腕をのせて、更にその上に顔をのせた


夜になって幾分涼しさを増した風が下ろしたままの髪を優しく撫でていく



そうしてそんな時、ふと頭に思い浮かべた顔にひとりで恥ずかしくなりながら、また少し切なくもなって。






「修兵に浴衣…見せたかったな…」



ポツリと呟いた気持ちはそっと静かな世界に溶け込んで消えていった

もう一度月を見上げて、室内に戻ろうとした時。




ー!!」



眼下から聞こえてきた押し殺したような、聞き焦がれた声に躯は素早く反応する



「修兵!?」



ベランダの縁から上半身を乗り出すようにして下を見たあたしの目にうつった彼は何かを手に持っていた


そしてそれを口にする前に彼が言葉を紡ぎだす



「線香花火しねェ?…お前花火見たいっつってただろ?」



暗闇でもうっすら見える彼はそう言うと下に降りてこい、と手招きをした


前にちらっ、と言っただけなのに、覚えていてくれたんだ…

温かい彼の気遣いに浴衣を纏った躯が熱をもちだす



「今いく!」



小声で逸る気持ちを抑えながらそう言ったあたしは早く彼の元に行きたくて急いで躯を反転させる




「…!」



「?」



けれど下から自分を呼ぶ声がして、再びベランダから下を覗こうとまた躯の向きを変えようとした





「その浴衣…似合ってるぜ…」




その時ふわり、と髪を揺らした風とともに耳に伝わってきた彼の声にじんわり頬が熱をもっていく。


赤く染まりゆく頬に手をあてながら、ベランダの窓に躯を向けてしばし佇むを月がほんのりと照らしていた









大きな花火もいいけれど、大好きな君とふたりきりで見る線香花火は
あたし達だけの特別な夏の思い出。
(070826 如月亜夜)