その時の君はまるで、この緩い風のように不安定で消えてしまいそうだったんだ。



















長いようであっという間の夏が過ぎ去ろうとしていた

暑さも大分和らいできた気温を肌に受けながら事務的に書類整理に精を出す

特にうちの隊は隊長が職務をサボり気味とあって、その分こちらにそれがまわってくる為忙しさも格別で。


なんとか息をつけるくらいにまで至ったあたしは躯全体で大きく息を吐き出して腕を高くあげた



そのまま窓に目をやって、ここ数日晴天が続いていたというのになんだか今日は重たい曇り空があたしの目に写る


一雨きそうだ、などと少し憂鬱に顔を曇らせたはまたふっ、と顔を戻して、そこで漸く自分を見つめる視線に気がついた




「隊長?」


遠くも近くもない位置からあたしをじっ、とこれまた感情の読めない顔で見つめるままの彼に不可解な視線とともに口を開く


僅かに時間が過ぎて、彼はゆっくりともとれる足どりであたしの座る机までやってきた




「えっと…何か……?」



ただでさえ背の高い彼を、椅子から見上げるのはほとんどもう首を上げなくてはならなくて、微かに逸る心臓依然に首が痛い


そんな緊張感のない思考を巡らせながら一向に口を開こうとしない彼にもう一度、今度は僅かに眉をよせて尋ねてみた


そこで漸く彼は口を開く気になったようで、いまだ微笑むというよりは少し硬い表情で言葉を紡いだ




「なァ…かくれんぼせぇへん?」



「かくれんぼ、ですか…?」



少し呆然とするような気持ちで言葉を反復させながら目を瞬いて彼に視線をやる



「そ。ボクが隠れるからちゃんが見つけてや」



そう言って微笑んだ彼はもういつも職務をほっぽって吉良副隊長に追い掛けられている彼だった



「あの…お言葉ですが隊長、仕事は…?」



机に挟まれてまだ距離があるとはいえ、普段に比べれば格段に近い彼との距離に上擦りそうな声を抑えつつ、僅かに非難をこめて口を開いた



「うーん……ちゃんがボクを捕まえられたら今日一日やってもええよ」


薄く微笑みながらそう言った彼の声には言葉以上の感情は含まれていなくて、だから余計に何故そんな事を言い出したのかが気になる



「…………」


彼の真理を探るように瞳を見つめてみたがふいっ、とそれも逸らされて、視界に写るのはあの透き通るような銀髪だけとなってしまった



「じゃぁ…探しにきてな」



後ろ姿でそう告げた彼は、あたしの返事もまたずに一瞬で目の前から姿を消した




呆気にとられたように今の今まで市丸がいた場所をは見つめて、それから一度瞬きをするとふぅ、と肩を下げながら溜息をつく


仮にも彼はあたしの隊長であるわけだし、行かないわけにはいかないんだろう。


さっ、と机に置かれた書類を纏めると静かに席をたって、不思議そうにさっきの出来事を遠目に見ていた仲間と目を合わせないよう気をつけながら隊舎を後にした











ひととおり三番隊の隊舎内を歩きまわってみて、もとよりそんなわかりやすい場所に彼がいるとは思っていなかったが。


そのまま隊舎の外にでて検討もつけずにただ、少しだけ早足で歩く

隊舎内でも感じたようなすっかり涼しさを含む風をうけながらぼんやりと彼に想いを馳せて。



あのサラサラの髪や柔らかい微笑をたたえる顔、意外に高くて細いけどがっしりとした躯を包む白い羽織りに浮かぶ『三』の文字。


彼、という人物を頭に想い描く度にひとりでに緩む頬を隠すように少し俯いて歩く



彼がどういう意図であたしを誘ったのかなんてあたしは知る術を持たないし、きっと彼に問い詰めても教えてはくれないのだろう。


だけど、例え突拍子のない思い付きだったとしてもその相手にあたしを選んで貰えたことが自惚れだとしても嬉しい


そうして誰もいない、あたし自身もどこかわからないような場所に考えながら歩いていたら知らぬ間についていた


そこには年季のはいった大きな樹木がポツンと、だけど誇り高く一本だけ佇む殺風景な風景が広がっている



何かにつられるように、ふとその樹木に顔を向けたあたしの目に写ったのは見知った、そして今現在探していた彼自身だった


少し高いその木の枝に腰掛けてどこか遠くを見ていた彼は目の端にでもあたしの姿がうつったのかこちらにふっ、と顔を向けた



「…あ。ちゃん」


そう小さくあたしに向かって呟いた彼は、まるで見つかるのを待っていたかのように見えて。



「…………」


あたしはなんとなく口を開けずにただ静かにあたしに微笑みかける彼を視界にうつすことしかできない


木の上からあたしを見下ろす彼と、下から彼を見上げるあたしの間になにか、越えられない壁のようなものを唐突に感じた



ちゃん」



そうして視界さえ揺らぐほど長く見つめていたあたしの耳は風に乗ってきたのかと錯覚するほど柔らかく、そして弱々しい彼の声を捉えていた


それに返事はせずに彼にしっかりと視線は合わせて。


そしてこちらに視線をやる彼とあたしの視線が絡まった瞬間、言いようもなく胸が強く締め付けられるような感覚に陥った


それにじっとしていられなくて反射的に口を開けたあたしを遮るように彼も口を開けて、そして言葉を紡ぐ




「ボクの事……忘れんといてな」



そう言った彼の表情は微笑んでいるのに、こちらが哀しくなるくらい寂しげにも見えて。



「…………」



なんだか胸から何かがせりあがってきたように喉が苦しくて、声がだせなかった


彼はもう一度小さな声でそう呟くとすとん、と木の上から地に降り立ってあたしの方へ歩を進める




「……行こか」



いまだ微動だにせず彼の行動を目で追うだけのあたしにうっすら微笑んで言った彼はそのまま前を進んでいく


その彼の少し右斜め後ろを歩きながら始終頭の中ではさっきの彼の言葉がまわっていた


忘れないで、なんて忘れようにも彼は三番隊の隊長なわけだし居なくならないかぎりそんな事はありえない



それにあたしは彼が居なくなってもきっと彼を忘れることはないだろう。

そこまで考えて、理性では馬鹿らしいと思いながらもどんどん不安に押し潰されそうになってきた


彼は居なくなるつもりなのだろうか、あたしの目の前から、この世界から。


ありえない、ありえるはずがない。否定しながらも不安は増すばかりで。

ありえないのなら何故彼は忘れないで、などと言ったのだろうか。


ひとりで考えを巡らせても出口は見えないばかりか更に深みにはまっていく気がする


だけど、だからと言って彼に問い質すこともできなくて。

彼が隊長だから、というのもあるが決定的な何か、彼が居なくなってしまうことを裏付ける何かを悟ってしまった時、自分がどうなってしまうのか想像がつかないから、というのが大きな理由だった



上を見ることが出来ずに俯いて歩くあたしは、泣きたいわけじゃない―といったら嘘になるのだろうが涙を流したいと少なくとも理性では思っていないのに、なんだか泣きそうだ


自分の涙腺の弱さに呆れながらもついそれを緩めれば涙は塞きを切ったように溢れだした


せめて彼には気付かれないようになるべく静かに涙を零す

だけどこういう時に限って彼は後ろを振り返るのだ


何かを話しかけようとして振り返ったのかは定かではないが、彼が息を呑んだのが気配で伝わってきて。


あたしの躯は叱られるのを恐れる子供のように一瞬小さく震えた




「…泣いてるん……?」



「………」


そっとそう囁きかけてあたしの顔を覗きこもうとした彼に微かに首を横に振って、泣き顔を見られないように更に俯く



「…………」


そんなあたしに彼は覗きこもうとした顔を元に戻したらしかった


胸がまた締め付けられるように痛む。これは罪悪感なのだろうか。

妙に冷静に心のどこかで分析していたあたしの思考が一瞬とまった



地面を見ていたはずの視界はなぜか揺れる白と黒に覆われていて、背中には骨ばった手の感触と、硬い筋肉の感触。


抱きしめられた格好のままで僅かにも動けないあたしの躯をじんわりと温めていく体温に流れていた涙も気付けばとまっていた


それと同時に戸惑いと焦りと恥ずかしさが駆け登るようにあたしを通り過ぎていく



何か言葉を口にしなければ、とドキドキよりも緊張に急かされて口を微かに開いたがまたもやそれは意味をなさなかった




「…これは…忘れてええから…」



さっきよりも今までよりも一番近い距離で捉えた彼のその声は苦しそうで、それでいてとても優しい響きを含んでいる



頷くことも振りほどくことも出来ないまま、無造作に垂らされたままの自分の腕を僅かに動かせてみて。


彼を抱きしめかえす事はあたしには出来ないけれど、触れるか触れないかほどの微かさで彼の胸板に頬をあててみる


そうして自分の心臓の音が彼にも聞こえそうなほど大きく鼓動してるのを感じながら静かに目を閉じて。



余計にリアルに感じられる鼓動に身を任せながら、あたしを抱きしめる彼の腕の力がほんの少し強くなったように感じた。












そんな事、 わないで。今だけなんてしすぎるよ

ギン=シリアスという図式があたしの頭の中では成り立っているようです。。
切なくなりながらもほんのり幸せを感じて頂ければ、と。
(070830 如月亜夜)