この夏が終わらなければいいのに、と誰に言うでもなく呟いた。





















カタカタッ――パシッ


外の暑さなど微塵も感じさせないほど冷え切った部屋でひとり資料を手にパソコンを弄る

文章を全て打ち終えるとそれを印刷機にかけて、その間に電源を切るべく少々冷たくなった指先でキーボードを叩いた



コキッ、と首を鳴らしながらデスクから立ち上がって印刷された紙を取りにいく




「…………」



サッ、とそれを目で確認すると安堵の息をついてパソコンが並ぶその部屋を後にした











何だって夏休み中に学校に来ければいけないのだろうか。



外の空気が混じる蒸し暑い廊下を歩きながら心の中で文句をたれる

あたしは夏期講習なんてめんどくさいものはとっていないし部活にだって入っていないから、本来ならばここにいる必要はないのだ


引きずるようにして階段を上がりながらバスケ部のボールの音と掛け声をぼんやりと耳に流す




廊下を歩いているだけで冷房により冷えた躯にじっとりと汗が浮かんできた

先程まで冷たかった指先も今では温くほてっている


溜息をつきながら職員室のある階に足を踏み入れて、窓から差し込む光に顔を僅かにしかめた


委員会なんてやるんじゃなかった、と何度目かわからない後悔をしながら印刷された紙と資料を持つ手を緩く揺すって。




角を曲がった先に現れた教室に一瞬目を奪われた



ドアも窓も全開な教室に時折風が吹いては薄い色をしたカーテンがふわり、と揺れる

その揺れるカーテン越しに明るい真夏の太陽が顔を覗かせていて、机や椅子に淡い光を投げかけていた



青春ってこんな日の事を言うんだろうか。



些か苛立っていた気持ちも何だか拍子ぬけしてしまったように酷く穏やかになっていて。


そんな自分に単純、と薄く笑みを零した



そうして目の前の角を曲がってやっと見えた職員室を視界に捉えて、それと同時にふいに高まる心音。



どんなに些細な用事でも職員室に行く時は緊張しながら微かに心が期待もしていた

夏休みだから流石にいるとは思うけど、会える確率は低いということも理解している


期待が裏切られた時のショックのような言いようのない落ち込みを回避するため、あたしはその考えを振り払うように軽く首を振って。


結局は生徒と教師であって特別親しいわけでもなんでもないのだ

独りよがりの感情に浮き立つ心を冷静に抑えながら職員室のドアを開けた













「失礼しましたー」



資料と印刷物を担当の教師に渡したあたしは、ちょっとだけあの暑い廊下に戻るのが嫌になりながらも冷房がよく効いた職員室から出る


まるで別世界のように一気に纏わり付く暑さと髪にあたる陽射しにげんなりしながらドアに背を向けた




「お。



「!…ぁ、こんにちは…」



至極やる気のなさそうな声に顔を上げる間もなく胸の奥が競り上がるように鼓動したけれど、それを態度にはださずに至って普通に挨拶を返す



「お前講習なんてめんどくさいモンとってたんだ?」



「えっと…委員会の仕事…」



愛想笑いを形作りながら普段よりか細くなる自分の声に頭の片隅で自嘲するように笑った



「ふーん」



別段気にかけないその返事にもう会話はこれで終わりだろう、とそそくさとその場を立ち去ろうと足を踏み出す


彼と話していたい気持ちがないわけではないが、緊張するというのと会話が続かなくて沈黙になるを避けたい気持ちが相俟ってその場を早く去りたかった




「そういやァ、宿題進んでる?」


だけどそう話しかけてきた彼を無視するわけにはいかず、目に映る白衣に小さく口を開く



「…………えっと…」



正直なところ何一つ終わっていなくて、どう答えればいいのか口ごもるあたしに彼はおもしろそうに笑って言った


「古典やったかァ?」



「………」


まったくやっていないわけではないがやったと言えるほど進んでもいなくて。

無言のうちに少し気まずそうに微笑むんで首を振るとと彼は感情の起伏の感じられない瞳に微かに驚きをみせた



「全然やってないわけじゃないんですけど…」


それに弁解するように紡いだ言葉は尻窄みになってどこからともなく消えていく

呆れてしまっただろうか、否普通は呆れるだろうなどと考えながら静かな色の瞳をただ見つめた





「…古典だったら教えてやってもいいけど」



「え……先生が…?」



変わらず無表情な彼から発せられた言葉は予想だにしないもので、戸惑う気持ちが大きいながらも言葉を紡ぐ



「俺以外誰がいるんですかオィ」



「そうですね……」



放心したようなあたしの言葉に若干呆れた笑みを見せながらもその場に佇む彼は教師というより何だか彼氏みたいだ


ひとりそんな事を考えながら彼の視線から逃れるように光の差し込む先を目にうつす



もう夕方近いというのに昼間のような陽射しは窓を破って、佇むあたしの躯に光を降り注いでいた







「オーイさーん」



「あっ、はい」



間延びした彼の低い声が耳を掠めて振り向くように顔を向ける

いつのまに来たのだろうか、あたしの隣にいた彼に少し驚きながらも平静を保ってそのクルクルとした髪に見るともなしに目をやった




「講習中なら学校にいるから」


「はい」


そう言うと軽く手を上げて彼は職員室に戻っていこうとしていて。




「先生っ」



感情だとか理性だとか、そんなものは関係なしに彼を呼び止めていた






「んー?」



けだるげにこちらを振り返る感情のない瞳に僅かにたじろきながらもあたしは自らの手をすっ、と差し出す



「なに」


まるで握手でもするようなあたしの行動に一瞬彼は目を瞬いて、それから躯ごとあたしに向き直った



「指切り…」



「指切り?」



小指を立ててそれだけ呟いたあたしの手は微かに震えているけれど、それは見ないふりをして彼の目だけを見る


じんわり躯を溶かすような暑さに包まれるなか、沈黙がふたりの間に流れた






ふいに冷房の効いた職員室が恋しい気持ちに襲われて、だけどあたしは出した手をひっこめる事も躯を動かすこともできない


まるで接着剤で床に貼付けられたような感覚の中、同様に瞬きすらしない彼を視界にただただうつしていた




そうして目の前の銀髪が揺らいだのを見て、あたしの時間も漸く動きだす

穏やかながらも通常よりは早めに鼓動する心臓を抱えながら視線をやった彼の顔に、一度強く胸が鼓動した





「指切りげんまんよりいいモン知ってっか?」



そう言ってニヒルに笑った彼に言葉にならない吐息を漏らすだけのあたしは情けなくも恋する乙女そのもので。





「コレなら絶対忘れねェよな?」



一瞬のうちに唇に息がかかるような距離に移動した彼の唇から囁かれたその言葉を理解するよりも早く、一瞬だけそれが触れ合った


すぐに離れた彼の、間近でうっすら微笑む端正な顔に頭がぼーっとして立っていられなくなりそうだ





「じゃァ待ってるから」






そう言い残して職員室に消えた彼の幻影をいつまでも見つめるあたしは、もうすでに頭のてっぺんから爪先まで銀色に染められていたのかもしれない













先の、触れる距離で。

青春っていいですネ〜。。
こんな恋をしてみたいものだv
なんか銀サンの話し方がイマイチですが、大目にみてやって下さい!
(070828 如月亜夜)