暦のうえではもう春。まだ肌寒い日もあるけれど大分日の暖かさが増してきたように思う。今日はいいお天気、とは少し言いがたいけれど曇った灰色の空の下でも時折吹く風は随分柔らかくなったと思う。時刻はまだまだ朝。春休みだからと言って家から一歩も出ないのは駄目だよね、ともう習慣となった散歩は身体に新鮮な空気を供給してくれてとても気持ちがいい。犬の散歩をしている人や走っている人、これから会社に向かうであろう人たちを眺めながらゆっくりゆっくり歩く。(あ、れ?)角を曲がってまた緩やかな道が続くその前方に長身で、染めたにしては自然な金髪が目に入った。私の中で思いあたる人は一人しかいなくて、だけどいつも側にいるはずの黒スーツの人たちはいない。(会うの久しぶり!) 「ディーノさん、」 後ろから少し早歩きで彼に近づいて、そう声をかければ彼は僅かに肩を揺らしてそれからくるり、と私を振り返った。その動作に合わせて軽やかに動いた金髪がやっぱり凄くきれいだ。 「日本に来てたんですね」 「ああ、まあな」 彼は私の姿を確認すると「久しぶり」と言ってそれからいつものように口角をあげてニカッと笑いかけてくれた。 「そういえばこんなところでどうしたんですか?」 ふと、浮かび上がった疑問。(だって私が近づく前からここに立ち止まってたから)もしかして道に迷ってしまったのかなあ、なんて。私から見ればずっとずっと大人な彼は、(ツナからきいたんだけど)すごい人らしい。(そういえば日本語上手い、)何がすごいのかは知らないけれど、彼から見れば全然年下の私にも対等に接してくれるところとか、彼の慕われるひとつなんだろうな、って。 「あー・・いや、散歩してたら迷っちまったみたいで」 (やっぱり!)なんて失礼だから口には出さないけど。でもちょっと恥ずかしそうにそう言ってきれいな金髪をがしがし掻く彼は着飾ったりしないからなんだか助けたくなる。 「ツナの家ですか?案内しますよー」 「悪いな」 なんだろう、少しだけ彼の目が泳いだ気がするんだけど。(気のせい、かな)(ま、いっか)それから彼の隣に立って自然と他愛ない話が口をついてでてくる。私の話に相槌を打ちながら時折もらす彼のほがらかな笑い声が耳にやさしい。彼の隣はまるで「春」の気候のようだと思った。一緒にいるとなんだかあったかい気持ちになって、うきうきと足が弾む気がする。まわりにいる誰とも違う、ディーノさんにしか感じないこんなに楽しい気持ちってなんなんだろう。 「うわっ」 突然私の視界から消えた彼は足が絡まったのか道端の石につまづいてしまったのかはわからないけど、危うく転びそうになった。(そういえばよくこけてたかも、)そんなおっちょこちょいなところも彼らしくてなんだか自然とやわらかい笑みがもれた。(彼の隣って居心地がいい)少し笑いながら「大丈夫ですか?」と聞いた私にまた照れくさそうに笑った彼の笑顔が眩しくて。とくん、と鼓動した心臓の動揺を隠すように曇り気味の空を見上げれば。 「あれ・・?」 「ん?・・・ゆき、か?」 空からふわふわ落ちてきたそれは雨とはちょっと違くて手を翳してみればす、っと消えた。確かに空は雪でも降りそうな色をしているけれど、まさか本当に降るなんて。 「春に雪なんて降るんだな・・」 隣から感嘆のため息と共にそう呟いた彼の言葉にふと、どこかで聞いた話が頭に浮かぶ。(春に降るゆき) 「名残の雪、っていうらしいですよ」 てのひらに落ちては跡形もなくとけて消えていく雪は春になるのを惜しむようでも歓迎するようにも感じられる。「へぇー・・」降り続ける淡い雪を見ながら小さくそう言った彼の金髪が白さに強調されて酷く綺麗に私の目にうつる。とく、ん。また胸が高鳴って。(、私は恋をしてしまったのかもしれない)彼の口元からもれる白い息をぼんやり眺めながら唐突にそう、感じた。ツナの家までの道のりを、少し遠回りしてもいいだろうか。なんだか神聖にさえ感じるこの時間をもう少しだけ彼と共有していたいな、なんて。 「うわっ」 「ディーノさん!」 本日二回目の言葉に今度はびっくりして思わず彼の名前が口から零れる。雪に見とれて歩いていたからだと、思う。一瞬私の視界から彼が消えてしまったことに恥ずかしいくらい動揺してしまった。(さっきは微笑ましかったのに、)そんな自分に(ああ、もう戻れないかも)なんて小さく苦笑していまだ地面にお尻をつけたままの彼の顔を覗きこむようにして話しかける。(でも金髪で彼の顔は見えなくて) 「大丈夫ですか?」 「ああ、」 このやりとりも二回目。だけどさっきと違うのはくしゃりと髪をかきあげて顔をあげた彼が苦笑していたこと。 「みっともねえな、俺」 そんな風に彼が自分を蔑むところなんて初めてだったから、私はなんて言葉をかければいいのかわからなかった。また俯いてしまった彼のまわりに雪がちらちら、ちらちら。まるで彼を私から隠すように。かける言葉は見つからないけれど、私はどんな彼でもみっともないなんて思わないのは明白で。道端の石につまづいたり、雪に見とれて転んでしまうのもディーノさんの一部、で。そんなの全然かまわない。むしろそんな彼の行動に愛しさだって覚えてる。 「私、は好きですよ」 ふ、ともれた言葉に私自身びっくりした。頭で今の言葉を反芻してみるとなんだか急にすごく恥ずかしくなって私まで俯いてしまう。(なんて大胆なことを!)少しだけ言ったことを後悔しながらも私のちっぽけな言葉で彼の元気がちょっとでもでればいいなあ、って。 「・・・」 「はい?」 低く私の名前を呼んだ彼はまだ顔をあげない。(どうしよう、なんかどうしよう)心の中でひとり慌てる私をよそに彼がゆっくりと口を開く。 「・・・すっげぇ、うれしい」 その言葉とともにふわり、と吹いた風が金色に隠れていた彼の表情をそっと私の前にさらけだしていく。 「・・・っ」 目線は地面を見ていたけれどはにかむように笑っていた彼、に今日一番の胸の高鳴りをかんじる。(ディーノさん、)気が付けば淡く降っていた今年最後かもしれない名残雪はやんでいた。 「、・・あのさ、」 ようやく私を見てくれた彼が発したその後の言葉に驚いて固まってしまった私の髪を、春の匂いをのせた風がやさしく通りすぎていった。
純情パトス
(ホントは俺、に会いに来たんだ)(080327如月亜夜)パトス・・情念、衝動 |