始まりが何だったかなんてもう覚えていない。焼け付くような感情も身を焦がすほどの衝動もそこには存在しなかったように思う。ただ唐突に愛しい、と道理も理由も越えた静寂な境地で本能的に手に入れたくなったことだけ覚えている。








吸血鬼、という性のせいか夜が更けていくにつれて自分の躯が目覚めていくのがわかる。今夜も綺麗な蒼い月。曇りのない窓ガラスに反射したその冷たい光はどこかあの男を連想させて僅かに表情を歪めた。


夜気ですっかり冷えた薄いシーツを躯に巻き付け直しながらベッドの上で小さく膝を抱える。自分の視界に写る髪も月の光に照らされて鈍く光っていた。


吸血鬼である自分を恨んだことなんてない。むしろ誇りにさえ感じている。だけどこんな時は、感度のよすぎる自分の耳を恨まずにはいられなかった。


他の吸血鬼も起き出す時刻でありながら躊躇いもなしにこちらに向かってくる静かな足音。あの男は、あたしが起きた頃を謀ったようにやってくるのだ。行動が見透かされているという不快感とこれから起こることに僅かながら期待している自分に対する嫌悪感で躯が微弱に震えた。


「…。起きてる?」


柔らかいノック音の後に聞こえてきた低くて威圧感のある声が、だけどどうしようもなく甘く鼓膜に響くのは何故なのだろう。


「………」


男が、彼が問い掛けてあたしが無言でかえす。もはや定着してしまったやり取りに無性にやり切れなくなる。


音もなしに開かれた扉に視線をやることなくただ自分の膝だけ見つめるあたしは今更ながらなんて滑稽なんだろう。握りしめたシーツがやけに冷たく感じる。逢いたくないと、口にすることのできないあたしが、結局彼の行為を甘んじて受けてしまうあたしが一番残酷なのかもしれない。


彼の体重分いくらか軋んだベッドはこれから始まる死刑宣告。







「……こっちを向いて」







有無を言わせない彼の声なんて大嫌い。そこに愛情が込められているなんて錯覚したくない。




「いい子だね…」






あやすような深い色をした彼の瞳に写るあたしはなんて愉快なジュリエット。かの有名な悲劇のほうがどんなにマシか。あたしは死をもって逃げることなんてできない。彼は何処までもあたしを追って逃がさないから。


穏やかな表情とは違って降ってくる口づけが少し荒いのはあたしのせい。彼の唇から漏れる熱い吐息が冷えた空気を染めていく。知らずのうちに拘束されていた両手に篭る力が優しいのが哀しい。それは何時でも振りほどくことができるから。だけどあたしにはそれが出来なくて。



枢はそれを知っているんでしょう?







彼の愛撫によって思わず漏れた甘い喘ぎを抑えるように深く枕に顔を埋めた。





蒼い月が煌々とあたしたちを照らしている。




「……スキ」





くぐもって聞こえないはずのあたしの声に、彼が微笑んだ気がした。











残酷ランコリック
(だけど本当は愛してる)







*
一応ニュアンスは枢が大好きなんだけどどこかでまだそれを
受け入れきれていない素直じゃないヒロインちゃんと
それを全部わかってて溺愛しつつ見守ってる(襲ってる)枢様のお話でした
(080129如月亜夜)