「もう一本ーー!!!」 「お願いしやすっ」 Como por encanto連日澱んでいた空も嘘のように晴れ渡っている。また夏が到来したかのようにどこからか蝉の鳴く声まで聞こえてきて。フェンス越しに威勢のいい声やボールの飛ぶ光景、小気味よく響くバットの音が飛び交っている。野球部の朝錬を見にくるのがもうすっかり習慣と化してしまったあたしはまた今日も目の前に広がる爽やかな風景と差し込む眩しい日の光に目を細めてくるくると動く光景をただ静かに眺めていた。 あの日、彼の誘いにのって野球部の練習風景を見に行ったあたしは、そこで特に何かを感じたわけではなかったというのに、気づけばまた見に来てもいいか、と彼に尋ねていて。彼は中に入って見学していいと言ってくれたのだけど、何だか邪魔になるような、自分だけ異質な存在がその空間に入ることを拒否する自分がいてフェンス越しに眺めることになった。本当にただいろんな人を目にうつすだけ。ここには一生懸命な人で溢れていて、何だか少し息が吸いづらい。あたしはいつも部活も勉強も人間関係でさえ中途半端だったように思う。その時々で一途になることはあったけど、ここまで貫き通せる何かに今まで出会ったことがないし、また本気で見つけようともしていなくて。自分の中に眠っている何かが擽られるような妙な感覚に時々襲われる。でもそれは嫌な感じではなかった。 ボールが俊足で人と人の間を突っ切っていく。グローブにボールが収まる強い音に少し肩が揺れて。そんな風に気づけば集中して練習風景に見入っていたからか、突然すぐ近くで聞こえてきた声に反応が遅れた。 「見学?」 一見柔らかいその声はそう大きくもなく小さくもなく、ちょうど聞き取れるくらいの音量であたしの少し後ろから耳にはいる。 「あ・・はい」 振り向く為に身体の向きをかえたせいか顔にもろ降り注いできた太陽の光に軽く眉根をよせて後ろの人物にそうかえした。 「君ここんとこ毎日来てるよね」 あたしに話しかけてきたその人は微笑みを浮かべた表情のまま、また口を開く。柔らかそうな雰囲気を醸しだすその人は野球部のユニフォームを着ていて、そういえば何度か目にしたことがあるような。 「俺は小湊亮介。三年」 「、二年です」 耳に心地よい低さの声音につられるように名を名乗って、反射的に頭をさげた。 「誰か好きな人でもいるの?」 「え・・?」 唐突の質問に頭がついていかない。凝視するように目の前の小湊先輩を見つめて、頭の中で言葉を反芻してみた。好きな人。その単語を耳にして浮かんだのは悪戯そうな顔で笑う御幸で。彼には友情以外の感情は持っていないはずだ。そう自己完結させながらも、はたから見れば好きな人がいる風に見えるのだろうか。それともあたし自身、自分の気持ちを誤魔化しているだけなのか。そんな何となく煮え切らない気持ちのまま少し困ったように顔を顰めて首を傾げた。 「・・、ちゃんって・・もしかして御幸と同じクラス?」 「あっ、はい」 御幸、という単語に今の自分の気持ちを見透かされたような変な後ろめたさを感じて心臓が一瞬強く揺れる。心中では戸惑いながらも今度は答えられる内容だったので間隔をあけずに頷いてみせる。あたしの答えを聞いて小湊先輩は何か考えを巡らせているようだった。優しそうな人だけど、何だか感情の起伏が読めない人だ。相変わらず微笑んでいる先輩を見つめるあたしの髪をふんわりと風が揺らして。同時にチラチラ舞い込む光の粒があたしと先輩を温かく浮かびあがらせていた。 「ふーん・・・」 少しの沈黙の後そう微かに漏らした先輩に軽く視線を向けるも微笑みによって受け流されて。そんな時、先輩の後ろからひょこりと姿を見せた人物にまた心臓だけが生き物のように跳ね上がる。 「何してんすか?」 あたしと先輩を交互に見ながら問いかけてきた彼に別に何もやましい事はしていないというのに何だか顔を見れない。 「何でもないよ」 小湊先輩はそう言うとあたしに向かって「またね」と手を振ってグラウンドの方へ去っていった。その後ろ姿を見ながらどこか心細いような気持ちに襲われて。彼とふたりで話すのはいつもの事なのに今は何だかあたしひとり気まずい感じだ。それもこれもきっと小湊先輩が好きな人がいるかなんて聞いてきたからだ。その言葉をきいて浮かんできたのが御幸だったのは、何で?そう思いながら彼に視線を向けるとばっちり目があってしまった。 「何?」 きょとん、と眼鏡の奥の瞳があたしを見つめている。好きな、人。さっきの先輩の言葉がまた頭の中に浮かんできて。それと同時にどくん、と胸が高鳴った。 「べつに・・」 だんだん緩やかながらも確実に速くなっていく心音の合間から小さく漏らした声。何だろう。彼から目を逸らしたいのに逸らせない。言葉もなくただ見詰め合って。ふいに彼はニカッ、と笑うとあたしの頭に手をのばした。そしてポンポン、と優しく頭を叩いて。いつも見上げる位置にいる彼が、今は更に強調してあたしよりもずっと背が高く感じられた。いつもよりもずっと、御幸が男に感じた。 「御幸ーーーー!!!!!」 グラウンドから彼を呼ぶ声がまるで夢の中にいるような不思議な空間で浮かんでいたあたしの意識を元に引き戻す。 「んじゃ、いってくるわ」 「あ、うん」 あたしの頭から彼の手の重みがふっと消えて、だんだんと遠ざかっていく後ろ姿。それをぼんやりと目にうつしながら何だか頬がふわっ、と熱くなっていく気がして。 あたしは彼に恋、してる。 明るく晴れ渡った青空から差し込む太陽の光が緩い風に吹かれて舞ったあたしの髪を柔らかい茶色に照らしていた。 → (071007 如月亜夜)(心のどこかでは、気づいていたのかも知れない。) |