今日も眺める。朝日の中飛び交うボールと声と、君を。









Como por encanto









今日は少し早く来すぎてしまったみたいだ。いつもあたしが来る頃にはグランドでは既に練習が始められているのだけど。ちらりと校舎脇の時計に目をうつして、やっぱり時計の針はいつもより早い位置をさしていた。誰もいないガランとしたグランドは眩しい朝の光に照らされて静かにそこにただずんでいる。あたしは野球のことなんて本当に何ひとつわからない初心者で、だけど今御幸がいる一軍に入りたいと頑張っている人がたくさんいる事実は何も知らないあたしにだってわかる。そしてその位置をキープしてる御幸や他の一軍の人がどれだけ必死に練習しているのかも。そういえば小湊先輩も一軍だった。あと同じクラスの倉持くんもたしか。そんな風に思いを巡らせていると、無償に自分が何だかちっぽけな存在に感じて。あたしには何か胸を張ってがんばっているといえる事があったのか。いつか感じたむず痒い焦燥感が胸から手足の先までじんわり侵食していく。耐えるように自分の足先を見て。少し砂埃をかぶったローファーがやけに惨めに見えた。










「おはよう。ちゃん」








その声に覚醒したように勢いよく声のした方に顔を向ける。フェンスの向こうにいつもと変わらない柔らかい笑みを湛えた小湊先輩があたしを見ていた。








「・・おはようございます」






もう皆来る時間なのだろうか。どこからか近づいてくる足音とともに声も聞こえてきた。







「今日も練習がんばって下さいね」










最近になって小湊先輩と知り合ってから毎日言う科白。もっと気のきいたことが言えないのか、と思う自分もいるけれど、口をついて出るのは結局いつも同じ言葉だった。だけど先輩はいつもその言葉をきいて微笑んでくれるから。といってもいつも先輩は口元に笑みを携えてはいるのだが。









「ありがとう。・・それじゃ」









軽く野球帽を手で直しながら先輩はそう言ってグランドの奥へと歩を進めていく。いつのまにかグランドにはちらほらと人が集まりかけていた。小湊先輩の後ろ姿からふっ、と視線を戻した時、フェンス越しに今グランドに来た人と視線があった。正確には視線があったかどうかはその長い前髪でよくはわからなかったけど。心なしか面影というか雰囲気が小湊先輩に似てる。そんな事を思いながらあたしは不躾に彼を見つめていたらしい。彼の頬がこちらの目にもわかるほど色付いてきていて。それから彼はあたしに向かってペコリと頭を下げるとグランドの方へ歩いていってしまった。小湊先輩よりも少し小柄な繊細そうな子。何となく年下だろうな、と考えながら既に始まっていた練習に目をうつした。















教科書を腕に抱え直しながらまだ少し騒がしさの残る廊下をひとり歩く。なかなか教科書が見つからなくて待っていてくれた友達には先に行って、と告げようやく見つけたそれを持ちながら次の教室へと急ぐ。ここまで来ればもう後はゆっくり歩いても大丈夫だろう。安堵の息を心中で吐き出しながらあたしの目は見知った顔を見つけた。











「あ・・・」







反射的に声がでてしまったらしい。あたしの声に気づいた彼はこちらを向くと今朝のようにまたペコリと頭を下げてきた。









「こんにちは」









特に言う言葉もなく、かといって何も言わずにいるのも失礼で。あたしがそう言うと彼はうっすらと頬を染めながら同じように返してくれた。









「一年生?」








ふと、疑問に思っていたことを聞いてみると、やはりそうだったらしい。恥ずかしげに小さく頷いたのを確認して、そうなんだぁ、と独り言のように漏らす。










「やっぱり小湊先輩と似てる」









微笑した口元とか。ふわふわ柔らかそうな髪の色とか。髪で隠れて見えない瞳を探るようにじっと見つめてみたら彼の口が開いた。









「兄貴です」







「あー。やっぱり」








そう言った彼はさっきと同じように柔らかい表情をしているのに、どこか複雑そうな、僅かに顔を硬くさせたように見えて。単純な好き嫌いの篭ったものではなく、もっと強い何か。もしかしたらあたしが軽く口にした質問は彼を傷つけてしまったのかもしれない。彼にとって小湊先輩は普通の兄弟とはもっと違う、別の意味をもった存在であるのかもしれない。微妙な沈黙が流れて、あたしは動こうにも動けずただ視線を彼の綺麗な髪に向けていた。













「お前らいつのまに知り合い?」









肩にずしっとのる重みと、耳元を擽った低音がその微妙な空気をさらりと掬い取った。







「・・御幸」







肩越しに顔を向けるとあたしのすぐ近くに彼の髪と頬があって。ふわりとシャンプーの匂いが香ってきそうなほど近い。肩にまわされた手には教科書が握られていて、背中にあたる彼の温度を再確認すると体内温度が上昇しそうだ。まるで男友達に接するようなそれは、だけど彼を好きだと自覚した今、平静な顔を保つのが思いの他きつくて。どうにもこうにもリアクションをとれなくなったあたしの耳にチャイムの音がはいってきた。










「あ・・じゃあ・・」






「あ、うん。ばいばーい・・」









教室にさっていく小湊先輩の弟にゆらゆらと手を振って。名前を聞き忘れてしまった。そんな事を思いながらまだあたしの肩にある重みは健在で。









「御幸。あの子、何て名前?」






あえて自分の肩に顔は向けずにもう既に去ってしまった廊下を見ながら話しかけた。緩やかながらも確実に脈打っている心音は、このままでいてほしいという思いと早く離れてほしいという相反した感情で揺れている。








「亮介さんの弟の小湊春市」






「春市くん」







直に耳に入ってくる御幸の声に胸が強く跳ねた。それを彼には気づかれていないだろうけど、些か身長差のせいか傾いた背中が痛みをうったえていて。いい加減離れて、と言うと以外にもあっさり彼は身体を離した。少しそれが哀しいような寂しいような気がしたけど、まだ肩にあるように感じる重みの刺激で頭はいっぱいだった。制服を整えながら何気なく彼に問いかけてみる。












「御幸はどうしてここにいるの?」








教室をでたのは自分が最後のはずで。皆もう移動した後だと思っていたのに。トイレにでも行っていたのだろうか。それにしては随分遅いし。次々浮かんでくる言葉に頭の中で自問自答しながらふと彼に視線を向けて。










が見えたから・・ってのはどう?」








「・・は?」









得意の笑みを浮かべてそう言った彼ははっはっは、と陽気に笑いながらすたすた前を歩いていく。彼の今の言葉は素直に受け取っていいのだろうか。それともやっぱりからかわれただけ?今の一瞬の彼の表情や仕草を思い起こしながらその言葉に隠された意味を見つけようとして。どんな意味があるにせよ、嬉しいと感じてしまったあたしは単純で、そして少し悔しい。













「おーいさーん。チャイムとっくになってるんだけど?」








大分先に進んだところで振り返った彼は意地悪気にそう告げながらニヤニヤ笑っているもそれより前に行こうとはしていなくて。











「そうだ!!移動だったんだ!」










腕から落ちそうになっていた教科書を再び腕に収めると前にいる彼に向かって小走りで駆け寄っていく。不適に微笑んで佇む彼がだんだん近づいていくのを身を切る風とともに感じながら。












自分のまわりがキラキラ輝いているような、すべてが楽しく感じるような。自然と微笑む口元のまま、窓の外の青空に小さく微笑みかけた。






















(071008 如月亜夜)(あたしのまわり、全部キラキラ。)