あたしの中のすべての悩みが消えたわけじゃない。無論悩みは恋愛だけではないし。それにこれからもいろんなことに悩んだりもするんだろう。だけど何だろう。彼のそばにいて、笑っていられることがすごく幸せだ。その幸せが時々崩れる時を想像すると無償に怖くもなるけどそんな相反した感情だって恋愛の醍醐味のひとつなんじゃないかな。











Como por encanto














放課後の掃除ほど面倒くさいものってないと思う。ゴミ箱のごみを焼却炉に捨てに行きながらふと今日も暑いくらいに晴れ渡った空を見た。時刻的にはもう四時も過ぎているけどまだ日は高くて。こんな中練習なんて大変だ。もう気が付くと、という間もないほど御幸の事にすぐ考えが飛んでしまうほどいつの間にかあたしは好きになっていたらしい。













恋愛なんて大人になっていく過程のうちですればいいものだと思ってた。できればあんまり悩んだりとかしないでただ楽しいだけの恋愛を思い描いて。それがどんなに空虚でつまらないモノかなんて最近までわからなかったあたしは人間的にまだまだ未熟だと思う。空になったゴミ箱の中身をもう一度確認して、風にのってくる威勢のいい声やバットとボールの音に耳を澄ます。












彼と近づいていく度に自分の中の何かが反応して、そこから少しずつあたしは変わっていったんだろう。今だってほら。野球になんて興味なかったのに今は練習の音が、空気が感じとれるだけで自然と気持ちが穏やかになる。軽く目を閉じてみて、瞼の奥に広がる今朝の練習風景。御幸。目を閉じたままで心臓がとくん、と鼓動したのがわかった。身体を内からじんわり侵食していく暖かさと、それに少しの寂しさが混じってあたしはそっと目を開けた。














さみしい、なんて。自分の中に浮かんだ気持ちに戸惑う気持ちと、それを受け入れる気持ちに気づいた。彼とは普通の男友達よりかはずっと親しい。だけど恋人ってわけじゃない。彼とそういう関係になりたいのかと聞かれればあたしはたぶん頷く。だけどそこまで絶対、ってわけでもなくて。第一彼はあたしをどう思ってるか知らないし、それに野球だってあって。ゆっくりと教室に向かって足を進めながらこのままでいたい気持ちともう少し進みたい気持ちがあたしの心を支配していた。


















幸せなんだけど、少しだけもどかしい。









心のどこかではきっと望んでいる想いに今だけは、目を逸らした。
























教室には数人のクラスメイトだけが残って談笑をしていた。机をかきわけて自分の席に行って。何だか突然もう少しここにいたくなった。何に惹かれたのかはわからないけどあたしは自分の席に静かに腰掛ける。携帯を取り出して弄るふりをしながらただ放課後の独特の空気に身をまかせるのはどこか心地よくて。そのうち談笑していたクラスメイトはあたしに軽く挨拶をすると教室を出て行った。たいして仲良くない人達とあたし独りは少し気まずかったから漸くそこで僅かに緊張していたであろう身体の力を抜いた。














(静か・・)









身体を椅子に預けて教室を見渡す。いつも生活している場所とは若干違う雰囲気をもったこの部屋はあたしの生活の中心で。卒業が近いわけじゃないのに、変なの。また襲ってきた寂しさはさっきよりも色濃くあたしを取り巻いていく。御幸に会いたい。浮かんできた気持ちにもう驚くこともなくて。彼にもっと触れたいと思う。抱きしめてほしいって思う。それを頭の中で勝手に想像しだすあたしはひとり恥ずかしくなって思わず口に手をあてた。











気づけば目をやる窓の外は、誰かが開けていったまま時折カーテンがふわりと揺れる。少し赤味を帯びてきた空の色をぼんやり目にうつしながら今日の彼との会話を頭で自動再生して。見つめるうちにだんだんオレンジ色と藍色のマーブルが溶け合って空を支配していく。もうすぐ部活も終わるころだろう。吹いてきた少し肌寒い風に身を竦めて窓を静かに閉めた。






















今日はいつもより幾分か軽い鞄を肩にひっかけて殊更ゆっくりと大分暗くなっていた空の下を歩く。少しだけ、心の内で湧き上がる期待の気持ちはあたしの気分を心持高くする。彼に会えるかもしれない。ひっそり心で思い浮かべて、もとよりそれが目的で遅くまで残っていたわけじゃないのだけど。だけど野球部って厳しいらしいというか目の当たりにしてみても厳しいと思うし。まだ練習をしているかもしれない。期待する自分の心を静めるように思い返して。それは期待が裏切られたときの打撃を少しでも回避するための自己防衛だってわかってる。傷つきたくない。そう思うのは人間の本能だと思うけど、でも少しだけ。















?」










心臓も身体も一瞬引きつったように停止して、でもそれは嫌な意味じゃない。求めていた、っていうのは少し大げさだけど僅かに驚きを含めた、それでいてずっと、前よりずっと柔らかい響きを含めた(ように感じる)低い声に身体はすぐに弛緩する。











少し早く脈打つ鼓動を抑えるように軽く息を吐いて。振り返る直前に視界に入ってきた藍色の空が、さっきよりずっと綺麗に見えた。



















(071018 如月亜夜)(この瞬間って、緊張しない?)